豚骨醤油味噌ラーメン

いろいろ書きます。

本音の在りか

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ふだんは、『note』というプラットフォームで文章を書いている。

書いている文章の種類は、小説だったり、エッセイだったり、コンテスト用の散文(散文ってエッセイも含むからこの表記は変かもしれないけど、とりあえず)だったりする。

このタイミングで他のブログサービスに文章を書きはじめたら、なんだかいろいろ勘ぐられそうな気もする。

わたしがはてなブログに書きはじめた理由と、noteの一連の炎上には因果関係はない。

ようは、大人数の集まった、白熱している会議の最中に、ふとトイレに行きたくなったようなものだ。ある人はそれをみて「タイミングが悪い」だとか「真剣味が足りない」だとか眉をひそめるのかもしれないけれど、わたしの尿意はわたしの尿意として独立してそこにある。

 

だとすればどうしてはてなブログに書いているのか。

noteという書く場所はとりあえずあるんだから、そっちに書けばいいじゃないか。使い分ける意味はなんなのか。

 

たまに、「本音を言いたい」とつよく思うことがある。

たとえば、たくさんの人のあつまった飲み会の席。

わたしはそういう場所でどちらかというと、「実は、こんなことがあって」と話す人の話をきく側にまわることが多い。というか、ほぼ、そうだ。

話を聞きながらわたしは、彼らが「うらやましい」と思うことがある。

「わたしも本音を言ってみたい」と思う。

べつに「あなただけは本音を言っちゃだめ」と言われてるわけじゃないんだから、言ってもいいと思う。

というか、本当は言うべきなんだろう、と思う。

 

数年前に、個別指導塾で働いていた。

そこの塾長は女性で、つまりわたしの上司にあたるわけだけど、彼女はある日、わたしの政治経済の授業を側から聞いていて「熱い先生ですね」といたく感心した様子で声をかけてきた。

 

先に断っておくと、わたしはべつに「熱い先生」ではない。

ただ、わたしは大学受験の科目の中で政治経済が最も得意だけど、政治経済の授業を求められる機会が少なく、たまたま生徒が「明日、政治経済の期末試験だから、教えて」と頼まれたから、物珍しさで一生懸命解説していただけだ。

 

塾長はわたしを、「先生の授業から、情熱を感じました。ぜひ、腹を割って飲みに行きましょう」と誘った。

そんなわけで、他の講師の人たち6、7人で集まり、お酒を飲むことになった。

塾長はわたしに、「腹を割って話したい」と繰り返した。

「本当は、何かすごいことを考えていそうなのに、本音を隠してるでしょ」と、彼女は妙に断定的に、わたしの目をまっすぐに見て言った。

 

わたしは「腹を割って話したい」と面と向かって言われると、腹がますます閉じていく方向に向かう。閉じるってのも変だ。

もともと開いてないし。なんて表現すればいいんだ?わからん。

 

それに「さぁ、本音をどうぞ」、と言われて、一体なにを話したらいいんだろう。なにを話せば納得してもらえるんだろう。

しかも、塾長が「この人は熱い本音を隠している」なんてぶち上げたものだから、他の、特に親しくもない講師の人たちが「へぇ」と感心した様子でわたしの話に注目している。

ビールジョッキを片手に、完全に聞く体勢になっている。

なんて純粋でいい人たちなんだ。わたしなら、親しくない人の腹のそこに熱いマグマが煮えたぎっていようと、豚骨醤油味噌ラーメンが煮えたぎっていようと、結構どうでもいい。

 

わたしが言いよどんでいる間に、塾長のビールジョッキはどんどん空いていく。いい感じだ。このままハイペースで飲んでいるうちに別の話題に移り、わたしのことは忘れてもらえるかもしれない。

 

しかし、そこはさすがと言うべきか、塾長はわたしのことを決して忘れない、見捨てない。白熱の指導である。合いの手のように、ことあるごとに「さ、どうぞ」、「さ、本音をどうぞ」とけしかけてくる。

いい先生だと思うけど、なんなんだ。本音を収集してるマニアなのか。

彼女は、「じゃ、カラオケに行きましょ」と言い出し、カラオケに行くことになった。

そして彼女は、酔っているとは思えないような、腹からしっかりとした声量でBONNIE PINKの『Heaven's Kitchen』を歌い上げた。

ベロベロの彼女は、イントロのたびに「なんでですかぁ、どうして私には心を開いてくれないんですかぁ」と訴え続けた。

 

もう、「本音」とか「心を開く」とかがゲシュタルト崩壊しそう。

結局わたしは彼女に心を開くことも、腹を割ることもなく、その飲み会の後にお互いに気まずくなり、よそよそしくなり、わたしはその塾を辞めた。

その飲み会が原因だったわけじゃない。よそよそしくなったのは、塾長とわたしは仕事という一線を引くことをお互いに決め、そこから逸脱しないと決めたからだ。仕事にはなんの問題もなかった。ただ、わたしが結婚をするために遠くに引越しをしなければならなかったのだ。

 

多くの人は、「本音を聞かせてほしい」と望む。

とくに高校生や大学生の頃は、わたしもそうだったような気がする。どういうきっかけかはわからないが、いつからかわたしは「人の本音はべつに聞かなくてもいいや」という、半ば投げやりな、割り切った関係を望むようになった。

そしてその傾向は自分にも向かった。

本音がむくむくっと首をもたげてきても、手のひらでそれをすっと抑え込むすべを覚えた。たまに我慢できないほどに境界を逸脱してくる人に向かってはそのままの本音をぶつける。

つまり、わたしは「人と決別するために」本音を言う。

 

どうしてこうなったんだろうな、と思う。

あの塾長は、たぶん、仲良くなりたくて「腹を割って話そう」とか「心を開いて」って言ってくれてたと思うんだけど。

 

たまに、隠された本音の行方について考える。

自分の手で抑えこんで、ぺしゃっと潰れた本音の芽が、どこに向かって伸びようとしていたのか、気にかかることがある。

その芽を、ちょっとずつ延ばしてみようと思う。

 

けれどわたしに「人と決別するために本音を言う」という傾向があるなら、まずはどこか、「決別にならない場所」つまり「初めまして」の場所で試してみようと思った。

 

とりあえず、ブログを開設するにあたって、ブログタイトルを決めなければならず、初期設定の「chiharu kalae’s Daily」はあまりにも恥ずかしすぎたので、「豚骨醤油味噌ラーメン」にしたんだけど、そこに隠された本音はない。本当にない。だから「どういう意味なんですか」とか聞かないでください。