豚骨醤油味噌ラーメン

いろいろ書きます。

私たちは大食い競争をしているわけでも、早食い競争をしているわけでもない。

 

 

これを書いているのは日曜日の夜だ。外は雨が降っている。

「このブログは、最近朝に書いている」と言った次の記事で早速そのルールをやぶるのもなんだかなぁと思わなくもないが、まぁいいか。

 

雨は、土曜日からほとんど休みなく降っている。

 

土曜日の朝、「今日は雨かぁ。まぁ毎日晴れというわけにもいかないし」と雨を受け入れるつもりでいたのに、二日目にはすっかり湿気に参ってしまい、「いつまでこの雨が続くんだろうな」と思いながら窓の外をながめている。

 

ずいぶん勝手なものだけど。

 

雨が降ると、わたしの動きはとても緩慢になる。

皿を洗う決意をするのに1時間くらいかかる。「なんだかぼーっとする」という症状が、朝からひとくちも水を飲んでいないからだということに昼過ぎに気がつく。

 

そうなるともう、モードを「温存」に切り替えるしかない。

 

やりたいことは机の上に山積みになっている。読みかけの本、書きかけの記事、切り抜いたまま、手帳に貼り付けられていない写真。

 

けれど、今日は「やるべきこと」さえできたら完璧だ。ゴミ箱を空にして、シーツを新しいものに変えて、簡素な昼食と夕食をつくって。

 

あとはじっとしていよう。

 

そう思うんだけど、その、「じっとする」のがむずかしい。

頭の中でなりひびく、「時間を無駄にしている」という言葉から逃れるためなら、こうして文字を書き綴っていた方が、頭の中にはちっとも入ってこないけれど、まだ本のページをめくっていた方がましだ、と思う。

 

そんなときに、最近は、この記事の表題に書いた、「私たちは大食い競争をしているわけでも、早食い競争をしているわけでもない」という言葉を思い出すようにしている。

 

実際、そうなのだ。私たちは大食い競争をしているわけでも、早食い競争をしているわけでもない。

 

それなのに、いつの間にか詰め込めるだけ情報を口の中に詰め込み、胃をぱんぱんにして、「もう食べられない」とあえぎ、「まだ食べろ」と自分を追い詰めていることがある。

 

そんな、「ひとりミニコント」をしている姿を想像すると、ちょっと面白くて、気持ちが緩む。

 

最近、それでもすっかりと「闘志」みたいなものがなくなってきた。

怠惰な自分に打ち勝つのだ、自分を啓発するのだ、という気持ちが薄まってきている。

 

不思議なもので、「自分を高めなければ」と思っているときには、「もっと己を高めろ」というツイートや記事がうるさくて、読むと頭の上の方からメガホンで怒鳴られているような脅威を感じていた。

 

けれど、「なんか、まぁ、全部どうでもいいか」と肩の力が抜けていると(このニュアンスがむずかしいんだけど、「どうでもいい」というのは、「投げやりな態度」のことではなく、「出力された結果がどのようなものであれ、そのまんま受け止める」という意味だ)、そういうツイートや記事が、遠くの小学校で行われている運動会のアナウンスがぼんやりと聞こえてくるみたいな、「微笑ましい」ような音として聞こえるようになってきた。

 

これが「善き変化」なのか、「悪しき変化」なのかさえわからないけれど、それすらも「よくても悪くてもどっちでもいいなぁ」という感じ。

 

ただ、いまnoteで一本書きかけている記事は、久しぶりに「ウケを狙うぞ」と身構えているせいか、書けば書くほど「アップロードするのが怖いな」という気持ちになってきている。

 

こうして人は新しい(と言いつつも、もしかするといつも自分の中にいて、発見されることを待っていた)自己と出会いながら生きていくのかもしれない。

 

昨日、そういえば麒麟の夢を見た。

麒麟の夢」は吉夢らしいんだけど、麒麟は「キリンビールのアカウントにフォローされる」というかたちで出てきた。夢なので実際にはキリンビールにはフォローされていない。

 

起きて、「麒麟の夢だけども」という気持ちになった。

麒麟の夢だけども。