豚骨醤油味噌ラーメン

いろいろ書きます。

『疲れ』とは。

イルセ・サン著「鈍感な世界に生きる敏感な人たち」を読んでいたら、興味深い一節が出てきた。

  

まず、疲れないようにするために、できることがあります。憂鬱な気分になった人はベッドに入り、たくさん睡眠をとろうとします。でもここで知るべきなのは、疲れというのは悲しみが形を変えたものであるということです。眠っても、悲しいことはなくなりません。気分が重いとき、本当に必要なのは、睡眠よりも成功体験です。

 

(イルセ・サン. 鈍感な世界に生きる 敏感な人たち (Japanese Edition) (Kindle の位置No.822-826). Kindle 版.)

 

「疲れは悲しみが形を変えたもの」とさらっと書いてあるけれど、私はけっこう衝撃を受けた。

 

言われてみれば、「SNS疲れ」もそういうことかもしれないな、と思う。

「こうなってほしい」が「そうならない」から、「悲しい」。なるほど、それが「疲れ」というかたちで出てきているのか。

 

そんなときに本当に必要なのは睡眠ではなく「成功体験」だとイルセ・サンは言う。

 

成功体験、というと「それこそ積み上げるのが難しくて余計に疲れてしまいそうだけど」と思ったけれど、やるのは「郵便受けに、郵便物が届いていないか確認しに行く」とか、そういう日常的なことでもいいらしい。

 

自分が、「これをしよう」とまず決めて、それを「やってみて」「できた」と思えることが大切なのだそうだ。

 

30すぎると、疲れていない日の方が珍しいような感じがして、「これくらいのことで疲労感が取れるなら、ひとつやってみようかな」と思った。

 

「疲れ」が「悲しみが形を変えたもの」なら、疲れやすくなるのもなんとなくわかる気がする。

 

歳をとればとるほど、ままならないことは増えていく。そして若ければ若いほど、ままならないことが許せない。自分にまだ「希望」を持っているからこそ、ままならないことを受け入れるのが難しいんだと思う。自分にはまだやれる、と思っちゃう。

30代って、そんな「ちょっと成熟しだした」頃と、「若さ」とがちょうどぶつかり合うところのような気がしている。反対側から押し寄せた波が、ちょうどぶつかり合う潮目のような。

「今までの自分とは何かが違う」んだけど、その「新しい自分」をどういう風に扱えばいいのかわからない感じ。

 

 

とにかく、そんなわけで「成功体験によって疲れは払拭されるのか?」を試す事にしてみた。

 

そしたら、プラセボなのかもしれないが、これが、実に効く。

ほんとうに、些細な事でかまわない。

 

昼過ぎ頃に、朝の掃除、洗濯、リモートワーク中の夫の昼食作りを終えて、「そろそろ文章でも書こうかな」と思うんだけど、ちょっとだるい。

 

そんなときに、「郵便受けを見に行ってみよう」と決める。

 

室内用のもこもこの靴下から、寒い部屋で冷えてしまった外出用の靴下に履き替えて、「冷たい」と思う。

玄関で、内側がもこもこのバーガンディ色のクロックスをつっかけて、家のドアを開ける。

新鮮な、冷たい空気が音を立てて部屋の中に吸い込まれていく。

階段を降りて、マンションの郵便受けに向かう。部屋の中にいた時は気がつかなかったけれど、こんなにいい天気だったんだなぁ。空は青く、もう冬の空じゃない、もうすぐ春だ。

ステンレス製の、冷えた郵便受けを開けるけれど、中には宅配ピザのチラシだけが入っている。

それを手に取り、郵便受けを空にして再び自分の部屋に戻る。

 

それだけで、確かにさっきまで胸の中を薄く覆っていた牛乳のまくみたいなものが剥がれ、清々しい気持ちになる。

 

たしかに、この世界は、自分の力だけではままならないことばかりだ。

 

私が書いたこのブログも、読んでくれた人みんなに楽しんでほしいけれど、楽しいと思ってくれる人は訪れた人のうちの、ほんのすこしだろう。

私はいつもチョココロネを食べたいけれど、近くのコンビニがいつもチョココロネを入荷しているとも限らないし、誰か他のチョココロネ好きが買い占めて、私の手には渡らないかもしれない。

 

だからこそ、確かに、「私が『できる』と期待したことを、ちゃんとやり遂げられる」という手応えを、たまには感じないと人間は苦しくなっていくのかもしれない。

 

なんてわがままで子どもみたいな生き物なんだろう、と思うけれど、郵便受けに郵便物が届いていないか確認する、という、ちょっとしたことで軽い疲れが取れてしまうのはちょっと可愛いな、とも思う。