豚骨醤油味噌ラーメン

いろいろ書きます。

木曜日の断絶

 

 

機能が更新日だということをつるんと忘れていた。

人とclubhouseでお話しする約束をしていたので、「今日は木曜日」ということは朝から何度も自分に言い聞かせていたのだけど、「木曜日だからはてなを更新する日」というつながりはぷつっと切れていたみたいだ。

 

こういうことが結構ある。

 

そんなわけで金曜日の朝にこの日記を書いている。

 

いま、同人誌をつくろうとしている。

はじめはひとりだけでつくろうと思った。

ひとりで作品を用意して、ひとりで表紙をつくり、ひとりで印刷する紙を選び、そして発行しよう、と。

「全部自分が決めたい」と思っていた。「全部自分でやりたい」と。

 

でも、ひとりで同人誌をつくろうと考えを練っているうちに、「誰かと一緒に作りたい」という気持ちがポンと生まれた。不思議だった。

 

 

わたしのTwitterのDMには以前、よく知らない人からのメッセージが届いていた。

Twitterは「読み専」で使っていたんだけど、ある時からnoteとの連携をはじめた。

そうすると思ったよりたくさんのフォロワーさんにフォローしてもらった。

 

その時は、Twitterを「運用する」ということさえ頭になかったし、Twitterの暗黙のルールのことも知らなかったし、「わたしごときがTwitterのフォローバックをしないなんて、傲慢と思われるんじゃないか」という思い込みを持っていたので、フォローしてくれた人のことをよく知らないまま、機械的にフォローバックしていた。

 

人によってはフォローバックを「仲良しのあかし」と思う人もいるみたいで、認識に大きなズレがあったのだろう、「確かにフォローはし合ってるけど、この人のことはよく知らない」という人からのメッセージだった。

 

その人からのメッセージには、「創作は孤独じゃないですか」と書かれていた。

 

返事にこまった。考えたこともなかったからだ。

創作は、一人になるためにするものだと思っていた。

「人の悩みはすべて人間関係にまつわるものだ」と言ったのはアドラーだったか。

わたしは心を巣食う心配事や、不安を締め出すために創作をしていた。つまり、アドラー的に解釈するなら、わたしは一人になるために創作をしていた。

 

 

 

「創作は孤独かもしれないけれど、書くことを通して、誰かに繋がれると思っています」とわたしはその人に返事を書いた。返事は書いたけれど、実感はなかった。自分の気持ちを説明するための言葉というよりも、その人を納得させて、そして黙らせるために書いた返事だった。

 

 

だとすれば、今まさにこの手が打ち出しているこの文字は、一体誰に届けるためにあるのだろう。

 

そんなことを、去年からじわじわと考えていた。

 

わたしの人生は、多くの場合「〇〇からの逃避」のためにあった。

地元からの逃避のための進学、家族からの断絶のための一人暮らし、「まとも」な世界から逃げるためのめちゃくちゃな遊び。

 

ずっと一人になりたくて、人と「接触したい」という感情は発作的にしか発生しなかった。

どうしても人に会いたくなったら、誰かと飲みに行って、そして一晩むちゃくちゃに遊べば、それですっきりとしていた。

 

なんの話だっけ。

そう。

わたしはおそらくもう、「逃げるのをやめたい」んだと思う。逃げることをやめて、むきあいたい。

 

そのためだけに同人誌を作ろうとしている。

 

創作って、たくさんの「どうして」に攻めこまれる戦いでもある。

 

どうしていまこの言葉を使ったの。

どうしてこの表現だとダメなの。

 

どうして書くの。どうしてつくるの。

 

そのひとつひとつに、答える必要はないにしても、もしも「どうして同人誌を作りたいんですか」と聞かれたら、わたしはそんな極めて個人的な理由でつくっている、と答えるしかないな、と思っている。

 

でも個人的かもしれないけれど、意思の中では極めて強固な意思なのだ。