豚骨醤油味噌ラーメン

いろいろ書きます。

季節の変わり目だから、そっと動こう。

 

 

肌寒いかもしれないと思って厚着をして出かければ背中にほんのりと汗をかき、薄着をして出かければ肌寒かったりする。

ただでさえ、「温度や、季節に見合った服装」というものを選ぶのが苦手なのに、この季節はますますだめだ。

 

最近の私は、なにを考えて生きてたんだろう、と、もどかしい。

ずうっと眠っていたところに、がつんと棒で殴られて、起こされたような気分だ。なにを言い訳していたんだろう、どうしてためらっていたんだろう、どうして、憧れの作家さんの作品を眺めて、胸を打たれることだけで満足していたんだろう。

 

その1000分の1の時間でいいから手を動かしていてくれれば。

 

最近、『眼高手低』という言葉をTwitterでよくみかけるようになった(またTwitterの話してる)。

 

これは、「眼高く、手低し」と訓読みする。

ずっと何かをみているから、眼は肥えているが、見ているだけなので、実際に何かをやらせてみると下手くそなことを言うのだという。

 

すごく、わかる。

 

だからある種の人(たとえば私のような人間)は創作から離れていくんじゃないか、と思うような、確信をついた言葉だ。プライドが高ければ高いほどゆるせないことも多いから。

 

「許せないもの、不可解なこと、わからないこと、できないことを、じっと抱えておけることが、その人の器だ」という話を以前読んだ。

 

賢者の秘密の手帳をちょっと開いて見せてもらったような、大切なことが書かれていると思った。そして、人の器の大きさは、他者を許容できるかどうかで決まったりしない。その、「他者への許容」だけが一人歩きしていることこそが、器の狭さだと思う。たしかに、他者はその「わからなさ」にふくまれているとも言える。「許せなさ」にも、「不可解」にもふくまれている。

 

けれど、「他者」というだけでは、「他者のなにと共存すべきなのか」が曖昧なのだ。

 

「わからなさ」を心にためておけること。

その、「もぞもぞするような、気持ちの悪さ」と一緒に生活ができるということ。

たしかに、それが器というものだろうな、という気がしている。

 

機嫌を伺われるのが嫌いだ。

ご機嫌なのに、「機嫌が悪くないですか?」と伺いを立てられているうちに本当に機嫌が悪くなりそうになる。

あなたを安心させるために、どうして私が呪いにかけられなければならないのか、とそれに腹立たしく思う。

腹を立てても仕方ないんだけど。

 

 

いろんなことが目まぐるしく動く季節だ。

だからこそ、そっと動こうと思う。周りに嵐が吹き荒れているからといって、私が嵐そのものになる必要はない。