豚骨醤油味噌ラーメン

いろいろ書きます。

本当に私は遠くまで叫びたいんだろうか

これは私特有の症状なのか、それとも他の人にも起こっていることなのか知りたいのだけれど、書くものに感情をしっかり乗せ、それが思いがけず普段よりたくさんの人に読まれると、2、3日動悸が激しくなる。

 

安静にしているのに不定期的に心臓が「ばくばく」と音を立てて鳴り、どう考えても健康的じゃない。その上、悪夢をみる。23時ごろ寝て、2時ごろに目が覚める。

そわそわして落ち着かない。

別に誰かに何かを言われたわけじゃなくても、そうなる。

むしろ、被害妄想的な症状が出てきて、全然関係のなさそうなツイートを見て、「これは私のことを言ってるのでは…」と思い始める。

 

「自分の書いたものがたくさん読まれるって、どういう感じなんだろう?」とかつて夢見たものだが、何度かこの「SNSで注目される」ということを経験した結果、「これは、体質的に注目を浴びるのに向いていないのではないか?」と真剣に考える。

 

SNSから離れよう、思いつめ過ぎているんだ、と思っても、記事が拡散されると、SNSで反応してくれてる人がいるかもしれない、とついついTwitterを開いてしまう。

 

これは大変に良くない。

 

 

ところでこの「心臓ばくばく」は一体なんなんでしょうね。

「心臓に負担がかかるから走ってはいけない」ということがあるみたいに、「心臓に負担がかかるので、SNSで発信してはいけません」みたいな体質もあるのかもしれない。

SNS登場後、まだそんな体質の人がたくさんは見つかっていないだけで。

 

もしもドクターストップがかかったら、私はSNSを辞めるんだろうか?

眠れない夜はそんな遠い遠い「もしかして」のことさえも考えさせるし、ドクターに止められなくてもやめたほうがいいのでは?と思うことがある。

 

 

 

どうして私はnoteで起こった出来事を、はてなに向かって書くんだろうか?

もしかしたら人格の別々の部分を使って書いているのかもしれない。

 

いつか誰かに、「noteに書いてあるものよりも、はてなに書いてあるもののほうが好きだ」と言われたことがあるが、私にもわかる気がする。

 

noteには武装して行っているなぁと思う。あそこは、すごく「男性社会」という感じがする。素ではいられない、飾らなくてはいけない、戦略的に物事を進められたらスマート、お互いを切磋琢磨しよう、(ある人は)自分のページのpv数を上げるために「スキ」をつけて回ろう、みたいな感じが。

書き手に女性の割合が多くても、それでもあそこは男性社会だな、と思う。体感として。どうしてだろう?

 

あまり深く掘り下げる気はないけれど。

 

 

そんなわけではてなにやってきてはてなに書いている。

 

落ち着くか?めちゃくちゃ落ち着く。すごくしっくりくる。

はてなで書くたびに「もうnoteは引き払ってはてな一本に絞ろうかな」と思う。

 

これは逃げなんだろうか?

 

 

今、ニサルガダッタ・マハラジという人の本を読んでいて、彼がその本の中で繰り返しいうことがある。

 

「恐れと、欲望から行動するのをやめなさい」と。

 

これは、体感としてすごくわかる。行動の根っこに、恐れと欲望があるものはまずうまくいかない。どこかでトラブルが起こったり、憂鬱になったり、怒りにまみれる。

 

そのどちらもない場所でやる動きは大抵スムーズにいく。

 

いま私がnoteをやめて、アカウントを消すとしたら、それは恐れからの動きだな、と思う。

注目されるのが怖い、誰かの逆鱗に触れるかもしれない、痛烈に批判しているけれど、お前だって大したことないだろうと言われたらその通りだと認めるしかない、など。私が恐れていることは山のようにある。

「声をあげよう」と言いつつ、声を上げた後に私は怯えている。

 

でも一方で、noteのアカウントを消そうとするときにいつもよぎるのは(私はこれまでなんどもnoteのアカウントを消そうとしてきた)、「これまで読んでくれた人との繋がりを失うのはもったいない」という欲なのだ。

 

なんかどちらにしても、「私ってロクでもないな」という結論にしかならなかった。どうしよう。

 

つくづく、日々Twitterで様々な目にさらされながら政治的な活動をしている人はすごい胆力だな、と感心する。

 

 

 

「心臓ばくばく」のおかげで「SNSで注目を浴びたら死ぬ(身体的な意味で)」と体が学習したし、私は書くことには向いていないとわかっても、私の心はまだ、「もっと遠くまで叫びたい」と思ってしまう。

 

本当に私は遠くまで叫びたいんだろうか。

SNSに居続けた結果、欲望を学習しただけなのではないのだろうか。

 

いつもと違う事態に陥って、体がそれに反応しているとき、心は騒がしくなり、どこからどこまでが自分の声なのかわからなくて、すごくさみしいような気がする。

 

動かないように、じっと待つしかないのだろうけれど、その度に、私はなんのために書くんだろうな、とまた自問する。